2006年8月20日 (日)

見逃した~

決勝戦がちょうど日曜日ということで、逃してはいけないと、昨日まで思っていたのに・・・見逃してしまいました。(涙)
うちで見ていたのは、夫だけ。(出かけるって言ってたのに、やめたらしく)
延長で1-1、両者とも相手に点を許さない、それでも入れられたらきちんと入れ返し、ピッチャーは疲れも見せず、最後の回にも速球を投げ抜いて・・・
夫が、あれこれ話してくれるのを私と息子はへ~、すごい・・・って聞くだけでした。
夜のニュース、ともかく見ます!!

両エース、こん身の力投=延長15回、1-1で引き分け・全国高校野球(時事通信)
 20日に甲子園球場で行われた第88回全国高校野球選手権大会の決勝、駒大苫小牧(南北海道)-早稲田実(西東京)戦は、延長15回の熱戦の末に1-1で引き分け。決勝では2度目となる再試合(21日)で決着を付けることになった。
試合は1点を争う投手戦。早実の斎藤が3連投の疲れもみせずに好投すれば、駒苫も3回途中から救援した田中が力投した。0-0の8回、駒苫が三木のソロ本塁打で先制したが、早実もその裏一死から檜垣が二塁打と敵失で三塁に進み、後藤の犠飛で同点とした。
決勝では10年ぶりの延長戦に入っても、斎藤、田中両エースの粘りの投球は変わらず。斎藤178球、田中は165球を投げぬいた。

見ました、熱闘甲子園。
涙せずにはいられない感動的な試合でした。
もし身内だったら、ドキドキ、はらはら、見ていられないと思います。

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2006年8月 2日 (水)

勝っちゃった~ヘ(^o^)v

いきなりダウンでしたし、中盤やや追い上げたものの、なんとか最後まで立っていられたふうに見えた試合、判定待ちの間も、世界の壁はやはり厚いなと思っていたのですが、なんと、勝っていました!!
当の本人も、意外な顔つきで、喜びを隠せないようでしたね。
「ブサイクな試合してすいません」の言葉が彼らしくて印象的でした。
ですが、チャンピオンなんですよね。試合後の報道番組では、WBAのベルトは好きだったから・・・なんて、いつもの口調に戻って、でもとても嬉しそうでした。
ま、実力が証明されていくのは、これからです。

亀田興、19歳で新王者に=判定で競り勝つ-WBA・Lフライ級
(時事通信)
世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級王座決定戦は2日、横浜アリーナで行われ、同級2位の亀田興毅(19)=協栄=が同級1位で元WBAミニマム級暫定王者のフアン・ランダエタ(27)=ベネズエラ=を2-1の判定で破り、初の世界戦で王座に就いた。
弟の大毅(17)、和毅(15)もボクサーで、爆発的な人気を持つ亀田3兄弟の先陣を切った長兄興毅。1回にダウンを喫するなど手数の多い相手に苦しんだものの、中盤でポイントを稼ぎ、12戦無敗で世界タイトルを手にした。

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2006年6月13日 (火)

初戦が~!日本

ワールドカップ初戦、逆転負け。悲しすぎる!!!!!
前半で早いうちに1点を上げたことは大きく、後半のプレーも乗ってきて、いい調子で流れていましたよ・ね。
川口が、当然といえば当然ですが、いつものように次々にかっこよく制止していたので、これはもう逃げ切れると安心していたのですが・・・
一瞬の隙に、川口がゴール前から消えたときの1点には、思わずテレビの前で悲鳴を上げてしまいまた。
まだ大丈夫だと祈るような思いでしたが、崩れ出すとひどいもので、わずかの時間に3点も入れられたのにはがっくり。
大事な初戦をこういう形で落としたのは、次の試合に影響が出なければよいのですが。
気持ちを切り替えて、次のクロアチア戦では勝利を期待します。

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2006年2月25日 (土)

荒川静香さん 華麗な演技

一躍時の人となった荒川静香さん、金メダルの演技も素晴らしかったですが、エキシビションは、優雅で華麗で素敵でした。青い衣装もとても似合っていました。
メダルを獲得してから、ほとんど睡眠がとれないままの演技たったそうですが、メダリストの意地を見せてくれました。
浦島太郎ならぬ「浦島花子です」とユーモアのあるコメントがかわいくて、帰国が待ち遠しいです。20060225i112

荒川の夢はアイスショー、東京での世界選手権に意欲も(読売新聞)トリノ五輪・フィギュアスケート女子で日本人初の金メダリストに輝いた荒川静香選手(24)が25日、メーンプレスセンターで会見し、「時間がたつにつれ、実感と重みを感じています」と改めて感想を語った。

「金メダルを取った後で最も驚いたことは」との質問に対し、「忙しいことです」と述べた。23日(現地時間)のフリー演技終了後、取材に追われ、睡眠時間は2日間で6時間しかないという。
一方、今後について、「夢はアイスショーで滑ること。1日でも多く自分の滑りを見たいと思ってもらうことが目標」とした。競技生活については、「現時点で引退か続行か断言はできない。日本に帰ってしばらく考えます」と白紙であることを強調したうえで、「国内で開かれた世界選手権に出場したことがないので、(来年の東京での世界選手権に)出たい気持ちはある」と現役続行に含みを持たせた。

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2006年2月11日 (土)

オリンピック始まったのに

オリンピック始まりました。
いつもなら、開会式は夜中であれ、早朝であれ、リアルタイムに見たい私ですが、もうだめ・・・
連日の仕事の多忙さと、睡眠不足でクタクタ。
すっかりあきらめて寝てしまっていました。
華やかな開会式、あの雰囲気大好きなんです。
ソフィア・ローレンさんやオノヨーコさんもルチアーノ・パバロッティさんも・・・

ダイジェスト版もまだ見ていません。(;´_`;)

これからの競技もあまり見られず、結果をニュースで知る程度になってしまうのでしょうか。
見たい、見たい、見たい、見たい~

追記
やっと録画を見ました。
聖火が花火のドミノ倒しで灯く瞬間も。
ふぅ、落ち着いた。(^ヘ^)v

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2005年12月16日 (金)

仰木彬前オリックス監督死去

テレビで「大奥」を見ていたら、速報が流れ、読んでびっくり。あまりに急で。
仰木氏は神戸では、歴史に名を残すほど。市民は彼に足を向けて寝られません。
あの震災のときに、どれだけ希望を与えてくれたか。
黙っていたらちょっと怖そうですが、口を開くと、神様のような人でしたね。選手からの人望も厚かったようですしイチローを世に出した名監督です。若々しい表情したが、もう70歳だったのですね。
「仰木マジック」忘れることはできません。
ご冥福をお祈りします。

前オリックス監督の仰木彬氏が死去(読売新聞)
プロ野球の近鉄とオリックスで監督を務め、3度パ・リーグを制して1996年には日本一にも輝き、米大リーグ、マリナーズのイチロー外野手を見い出した仰木彬(おおぎ・あきら)さんが15日午後4時10分、呼吸不全のため、福岡市内の病院で死去した。
70歳だった。告別式は近親者だけで行う。
仰木さんは福岡・東筑高から54年に西鉄(現西武)に入団。三原脩監督の下、西鉄の黄金時代に二塁手として活躍した。67年に引退。西鉄、近鉄でコーチを務めた後、88年に近鉄監督に就任した。ロッテとのダブルヘッダーとなった88年10月19日の最終戦では、時間切れ引き分けでリーグ優勝を逃し、「10・19」は、球界の語り草となっている。
翌89年にリーグ優勝を果たし、94年からはオリックス監督となり、阪神大震災に見舞われた95年には「がんばろう神戸」を合言葉に、パ・リーグ制覇。連覇を達成した96年には“長嶋・巨人”を破り、念願の日本一に輝いた。
データを生かしながらも、時として大胆なさい配は「仰木マジック」と呼ばれた。近鉄では、野茂英雄投手を1年目からエースとして起用、オリックスでは、無名だった鈴木一朗外野手を「イチロー」の登録名でレギュラーに抜てき、7年連続首位打者を獲得するスーパースターに育て上げた。
今季、近鉄とオリックスが統合された新生「オリックス・バファローズ」の監督に就任。プレーオフ進出争いを演じたが、惜しくも4位となり、今季終了後、健康上の理由から勇退し、オリックスのシニアアドバイザーに転進していた。
監督としての通算成績は近鉄、オリックスの14年間で988勝815敗53引き分け、勝率5割4分8厘。


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2005年12月 1日 (木)

野口みずきがシスメックスへ

あの野口みずきさんが神戸に本社のある会社に移籍するということで、アップしておきます。
どこかで見かけることがあるのかなぁ。

野口みずきがシスメックスへ 女子マラソン
アテネ五輪女子マラソンの金メダリスト、野口みずきが所属するグローバリーの女子陸上部の受け入れ先が、臨床検査機器メーカーのシスメックスになったことが1日、分かった。同日午後に発表される。
シスメックスが新たに女子陸上部を創部し、野口、藤田信之監督ら部全体が移籍する形をとる。神戸市中央区に本社のあるシスメックスは臨床検査機器、検査用試薬などの開発、販売を手掛けている。
野口は三重・宇治山田商高からワコールに進んだが、恩師の藤田監督が退社したため退部。1999年に同監督とともにグローバリーに移籍した。
グローバリーは9月に主要事業の先物取引から撤退した。受け入れ先が決まり次第、女子陸上部を廃部することを発表していた。

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2005年11月22日 (火)

城島マリナーズ入り

関西にいながら、福岡ソフトバンクホークスの大ファンで、城島記念館にも足を運んだことのある我が子は、ちょっと残念がっていました。初の捕手ということなので、頑張って欲しいです。

城島マリナーズ入り、初の日本人捕手大リーガー誕生(読売新聞)
【ニューヨーク=下村征太郎】米大リーグのシアトル・マリナーズは21日、福岡ソフトバンクホークスからフリーエージェント宣言し、大リーグ移籍を目指していた城島健司捕手(29)と3年契約を結んだと発表した。
AP通信によると、3年間の年俸総額は1650万ドル(約19億6800万円)。城島は日本人捕手として初の大リーガーとなる。マリナーズには現在、イチロー外野手(32)が所属している。
城島は1995年に大分・別府大付属高(現明豊高)からドラフト1位でダイエー(現福岡ソフトバンク)に入団。強打の捕手として活躍し、2003年には、パ・リーグの最優秀選手に選ばれた。11年間で通算1117試合に出場、4031打数1206安打、211本塁打、699打点、打率2割9分9厘の成績を残している。



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2005年9月29日 (木)

阪神タイガース優勝

今日の話題はこれしかないでしょう。岡田タイガースV1!!
各記録も残し、ドラマティックな試合で、地元甲子園での最後、宿敵ジャイアンツとの試合で5-1でシナリオ通り文句なしの優勝が今、午後8時49分に決まりました。選手達の顔が輝いていました。
タイガースファンというわけではないですが、今日の試合はしっかり見ましたよ。9回表の長く感じたこと・・・球場で風船を持つ手がまだかまだかと待っていました。
タイガースの優勝は、経済効果大ですから、嬉しいですね。あちらこちらでセールが始まります。
今回は2年ぶりなので、2年前ほど大きな盛り上がりはないのでは・・・と思うのは、タイガースファンを知らない人。半端じゃないですから・・・。
仕事からの帰り、電車から降りて"かえるコール"をする男性を見かけました。「勝っとう?ほな、もう帰るから。」
今日は、球場にいる人、まっすぐ帰ってテレビを見ている人、居酒屋さんでみんなで盛り上がっている人、夜中まで六甲おろしが響き渡り、興奮はさめないのでしょう。
地元のサンテレビジョンでは、野球中継のあとの祝勝会まで特番でしっかり中継するそうです。
職場の近くにある「神戸サウナ&スパ」では、前回の優勝の時と同様、無料ビールかけ大会が行われているはず・・・
2年前のときは、私は、確か外に出かけていて、帰宅時間と優勝が決まったあとの時間ががっちんこしまって、三宮駅周辺はパトカーがいっぱいで、道路が規制され、ものものしい中、大変な目に遭いましたから、今日は、早々と帰宅しました。とても静かです。(^^ゞ
神戸でのパレードは・・・・いろいろ条件が整わないらしいので、保留だということですが、どうなるのでしょうね。

こうなれば、日本シリーズも期待したいですね。
阪神タイガース公式サイトの優勝の挨拶はアクセス集中で繋がりませんでした。また明日にでも、と。
とりあえず、睡眠不足が続いているので、私は、早く寝ようっと。

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2005年9月22日 (木)

ヤクルト古田監督に?

球界には、身体を張って貢献している古田選手が監督になるというのは、とてもいい話ではないかと思います。選手兼任監督の可能性もあるというのも面白そうです。
野球はどこのファンということでもないですが、古田選手はずっと好きですから、できるだけ長く、多く、テレビで見られるといいなぁ。(^_^)

“ヤクルト古田監督”22日にも誕生(日刊スポーツ)
ヤクルトは今日22日、古田敦也捕手(40)に来季の監督就任を正式要請し、条件面などで合意すれば、一気に「古田監督」が誕生する。都内で堀澄也オーナー(70)多菊善和球団社長(69)が古田と会談して要請するとみられる。古田は「簡単には決められない。いろいろと相談しなきゃいけない人もいるし、大事なことだから」と決断には慎重な姿勢。ただ、「帰りがけに聞いてびっくりした」と勇退を表明した若松監督からバトンを託された格好となり、急速に進展する可能性が出てきた。
多菊社長は21日、東京・新橋の球団事務所で「こちらからの条件なんてない。来てもらうんだから。向こうの要求を聞いて、それを1つずつ、つぶしていくだけ」と最大限の譲歩を行う姿勢を見せた。契約年数、年俸など条件面の方針を固め、長期政権、複数年提示も視野に入れている。古田は現役続行にこだわっており、選手兼任監督で合意する可能性も十分ある。


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